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始まりは宇宙からの『光』。

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1000年前

 高水村と呼ばれていたこの地域には巨石が並び立つ山がありました。約千年前、その山頂に清き尾を引いた光が降りてくるのを、村の人々が見たと言い伝えられています。その光によって、山頂には毎夜火が点じていたそうです。この話が由来で清尾という地名で呼ばれるようになりました。

 人々は山の火を不思議そうに眺めていました。そこへある時、紀州牟漏郡川谷郷の藤井主馬という人物がやってきました。彼はその山に霊験を感じ、熊野三所大権現という神様を勧請しました。そして高水三所大権現と改め、山の麓に伽藍(高水神社)を建立しました。巨石は夫婦岩(現 市指定文化財)と称され、奥の院となりました。

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200年前

 高水神社の中には、立派な滝が流れる三蔵院という坊がありました。文政三年、その滝壺から金仏の観音様が出現し、そのお姿が滝の側のある大岩に掘られました。(現 乳房観音)

 しかし江戸時代後期、大雨で氾濫した滝の水によって三蔵院境内は流されてしまいました。

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100年前

 九州地方で修行をされていた妙眞法尼という僧侶は、ある晩に夢の中で、滝から現れた白髭の翁にこう告げられました。

「……の土地に、滝に流され今は誰も参拝しなくなった神社の旧跡がある。その場所を整え、神仏をお祀りして人々の拠り所として興隆しなさい。」

 縁も所縁もない土地の話だったそうですが、お告げを信じて夢の中で指定された場所に行くと、そこが三蔵院の跡地でした。

 長い年月荒廃していた土地でしたが、昭和のはじめ、お告げの通りに三蔵院跡で伽藍再建が始まりました。そして見事に復興して、伽藍は整えられました。その後、三蔵院は三光寺と名を改めて開山いたしました。

 今も三光寺に残るその滝には、水害を鎮めるために「不動明王」がお祀りされており、多くの方が参拝されます。大岩に掘られた乳房観音様も同じくお祀りされております。

 当山には、御本尊に釈迦如来、他に百余体の諸仏三十余柱の諸神がお祀りされました。特に白木の高水不動尊は、昔から多くの方に信仰されています。

 また、滝の水を引き込んで作られた池には、弁才天が祀られ周南七福神霊場の札所となっており、毎年五月四日・五日に水の恵みに感謝する水神祭りがあり、四日に弁才天三十二香薬洗浴加持(香水加持)が厳修され五日には、柴燈大護摩供「火渡り」が厳修されます。

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夫婦岩(市指定文化財)

 「高水神社」の奥の院、御神体の両岩は金胎大日如来として、真言宗醍醐派快照院が毎月1日と15日に入山し、さらに9月には両岩に注連縄をしめ祭式を執行とあることから、この地が修験道の修行場でもありました。

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子宝、安産、婦人病の「乳房観音」

乳房観音並びに、鬼子母神は特に女性、子宝・安産・子育て・婦人病に霊験ありと云われています。

光明殿内 右)乳房観音、左)鬼子母神