『布施について考える。仏教の教え「六波羅蜜」から学ぶ日常の実践』 小話

10月に入り、朝晩は冷え込むようになりましたね。
毎月滝行をされている人は、季節の移り変わりが流水の温度変化に現れ、滝の表情が大きく変わってきていることに気が付くころでしょう。💦
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さて、今回は布施のお話です。
お釈迦様が説かれた、悟りの境地に至るための修行のひとつに「布施(ふせ)1」の行があります。
布施とは、とても簡単に言うと「与えること」です。
布施と聞くと、お寺に納めるお布施を思い浮かべる人も多いと思います。
しかし、布施というものは「お金や物を渡すこと(財施)」だけではありません。親切な行いも布施になるのです。
たとえば、
誰かのために時間を使うこと。
困っている人に手を差し伸べること。
落ち込んでいる人に優しい言葉をかけること。
こうしたことも、すべて布施につながっています。
忙しそうにしている人の仕事を少し手伝ってあげる。悩みを抱えている人の話を、途中で遮らずに聞いてあげる。どれも特別なことではありませんが、誰かを思う気持ちがあってこそできる行いです。そして、自分本位のうちはなかなか他者に気を配れないものです。
私たちは、どうしても「自分のものを手放したくない」と思う感情がでてくる時があります。
お金や物だけでなく、自分の時間や労力、時には自分の考えさえも、なかなか手放せないものです。
だからこそ、自分が持っているものを誰かのために使ってみようではありませんか。
言葉でも、力仕事でも、親切でも、なんでもいいのです。
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仏教で説かれている、「完全なる布施の修行(布施波羅蜜)2」は、六波羅蜜の第一に挙げられる修行です。
布施の修行は、布施を実践することと、布施の修行を完成させることを目指します。
見返りを求めず、惜しむ心を離れて、与える。
今すぐにでも実践できることですが、決して簡単で単純な修行ではないのです。
もちろん、布施は無理をして行うものではありません。
自分の生活を犠牲にしてまで、誰かに与えなければならないということでもありません。
大切なのは、どれだけ施したかではなく、今の自分にできることを、誰かのために施せた、ということではないでしょうか。
また、布施は相手のためだけの行いでもありません。
誰かに何かを与えることで、自分自身の心にも変化が生まれます。
人の役に立てた喜びや、誰かの笑顔を見たときの温かい気持ち。
そうした経験を通して、自分のことばかりを考えていた執着心が、少しずつ他者へと向いていくきっかけになるかもしれません。
それが広がれば、世界は平和になると思います。
親切にしたのだからお礼をしてほしい、いつか自分にも返してほしい、と考えてしまうと、せっかくの行いが、ただ見返りを求めるもの、になってしまいます。
相手から感謝されることもあれば、何も返ってこないこともあるでしょう。それでも、誰かを思って行ったことには、それ自体に前向きな意味があるのです。
「私は何をもらえるだろう」と考えるのではなく、「私は何を与えられるだろう」と考えてみる。
いきなり大それたことから始める必要はありません。
今日、誰かに優しい言葉をかけてみる。
身近な人に感謝を伝えてみる。
困っている人がいたら、自分にできる範囲で手を差し伸べてみる。
その小さな一歩が、布施行の始まりです。
与えることは、何かを失うことではありません。自分の持っているものを誰かのために使うことで、初めて気づく喜びもあるでしょう。
まずは今日、自分にできる小さな布施をひとつ、探してみてはいかがでしょうか。
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最後に、
お寺、そして御本尊さまへのお布施をはじめ、境内の清掃など、日頃よりお力添えをいただいている世話人の皆さま、檀信徒の皆さま、本当にありがとうございます。
皆さまのお支えのおかげで、本年も無事に開山忌を迎えることができました。三光寺が、皆さまにとって心安らぐ場所であり、人々の安寧を支えるお寺としての役割を果たせておりますこと、心より感謝申し上げます。
これからも、どなたでも気軽に足を運び、安心してお参りいただける寺院を目指してまいります。
今後とも、三光寺をどうぞよろしくお願いいたします。
合掌